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令和2年12月の涌泉寺だより

命を有するもの全て

 今日はある霊園に行ってきました。今はやりのペット霊園を併設しているところです。

 ワンちゃんの四十九日法要です。法要式は人間様と同じですがお経の違いは、提婆達多品第十二は後半だけ読みます。

 法華経は全部で二十八章節有ります。私は二十八章節の中で十二番目の提婆達多品が好きなのです。

 漢字で読むとさっぱり分かりませんが、漢字を約した訓読でよませていただくと現実的で分かり易く、後半を過ぎる処まで来ると思わずプッと吹き出します。

 私が法華経の信者になった時分、女性のご回向やお施餓鬼をする時には必ず提婆達多品を読まないといけないと教えられて、訳も解らなくただその様にする物と思っておりました。僧侶と成ってからも只そのようにすると同じように言われ、しかも同じ訓読でご回向をさせて頂いておりました。

 話はいつものように脱線しますが、私がまだお師匠様の処で修業中にお師匠様に向かって『お経って漢字ばかり書いてあるけど、何が書いてあるのか意味がさっぱり分からん、有り難い事もくそもない。』と言いましたらお師匠様いわく『お経って云うのは不思議なんやで、お前がお経を読んで読んで体中がお経で満杯になって、刃物でお前の体に傷をつけた時、血が出るよりもお経が噴出してくるぐらいに読むと、ひとりでに意味が分かってくるもんや。お題目も一緒や、唱えて唱えて体中がお題目で満杯になったら、お題目の功徳は黙っていても頂けるもんや。言っておくけど、お前は大学も出て頭が良いからどうしても頭で考えようとする。仏さまの教えと言うものは頭でいくら考えても意味不明やで。仏さま・お経・お題目・日蓮聖人さま、全てを心から信じて、只々体でお経を読みお題目を唱える、それだけや。』

 その方が余計にわからん!と心でつぶやいたものでした。

 そして古文・漢文専攻の大学院を出た娘には『お父さん、毎日お経を読んではるけど意味わかっているん?』と偉そうに言われ『アホカ!お前みたいにうわべだけ読んで知ったかぶりするな!お経はな文底知深と言ってお経の底に書いてあるお釈迦さまの本心が分からなあかんのじゃ!』と言ってその場をにごしたものでした。

 その後、僧侶にならせて頂き、そして涌泉寺の住職をさせて頂き三十有余年。最近になってやっと自分で法華経のことが理解できるようになってきました。

涌泉寺だより R・二・ 発行者 涌泉寺 院首 山口法博
とは言っても学者さんのように全てとは言えないので、まだまだ勉強中ですが、死ぬまでに理解不能なところは、今度生まれ変わった時の課題として、置いておこうと思っています。

 話を戻します。ワンちゃんの四十九日忌の法要を終わってからお施主様に申しました。

『お宅の宗旨は日蓮宗と違いますね。何宗でもいいのです、今日ご一緒に読んだお経は日蓮宗の法華経と言うお経です。この法華経には、法華経を読みお題目を唱えたならば菩薩になる・なれると説かれています。

法華経は二十八章節あって今日ご一緒に読んだのは十二番目の提婆達多品の後半以降を読ませていただきました。訓読と言って漢文を約したものを読ませていただいたので、分からないまでも分かり易かったと思います。

八歳の龍女云々って書いてありましたね。八歳とは子供のことで、龍とは畜生のことで、女とは女性のことです。

お釈迦さまのご在世の時分はまだ女・子供や畜生に犯罪者はいくら気張っても成仏しない物とされていました。お釈迦さまは五十年間お説法なさって居られましたが、四十年目にして初めて仏さまの前では命を有するもの全てが、等しくゆくゆくは仏になれると言われました。 

その四十年目にしてお説きになったのが法華経と言うお経です。

ですから、法華経以外のお経にはこのようにはっきりとワンちゃんネコちゃん牛・豚・馬など動物が仏になれるなど書いていない以上、いくらナンマイダブ・ナムダイシヘンジョウコンゴウ等と祈っても・ご回向しても成仏しません。今日は法華経のお経で法要が出来たので良かったですね。』と、安心して頂いて帰ってきました。蛇足でいつもプッと吹き出すところも言ってきました。

それは、文殊菩薩さんが竜宮城に行って乙姫様をはじめ魚たちに法華経をご説法なさった途端に、その場にいた魚たちすべてが菩薩になれたので、お礼報告がてらに、お釈迦さまの前に行ったら、その場にいたお弟子方から魚達が仏になれる訳がない、と取り合ってくれないのに腹を立てた八歳の龍女が、右手に持っていた如意珠をお釈迦さまに渡すその一瞬の間に龍の体から、男の体になって、菩薩と言う佛になった。それはあたかも早回しのビデオを見ているようであった。

それを見ていたその場のお弟子方は、何がなんだか訳がわからず、みんな平服した、で終わりなのです。

八歳の龍女が腹を立てたという場面でいつも噴き出すのです。仏の世界が現実的で・・・。

 

お釈迦さまはいつも仰っておられます。

私の言葉(お経)を信じ、お題目の力でお経(法華経)を実行して、

菩薩の心となって、

私の目の前に

何故戻って

来られないのか、と。

涌 泉 寺

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