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令和3年6月の涌泉寺だより

 

法華経 考

 最近のこと、新しくご信者さまになっていただいたお方がおられます。

 法華経の二番目(方便品)には、お釈迦さまは法華経と同じくらい難解な『無量寿経』と言うお経を、皆にお話しなさった後、急に座り込んで、永いとてつもなく永い・永い間、瞑想に入られて、おでこや眉間の処にあるサーチライト(今でいうビデオカメラ)で次元を超えたあちらこちらの場所・世界をユーチューブに上げられるようにその場に無数に居られる弟子やその場の聴衆者に、超大スクリーンに映し出され、それを皆に見せた後、急に立って皆にお話をなさいました。

「お前たちに、今、見せた多くの国々の人々が、楽しく暮らせているのが分かっただろう。我々の現実のこの世でも、もっともっと心穏やかに・安心安全に・楽しく・生き甲斐のある生き方ができる教えがあるのだが・・・。法華経と言う教えなんだが・・・。これを話してもみんなは理解できないし、分かり易く教えるのだけれど、ひょっとして今よりも心を迷わすだけかもしれないし・・・。」

「言い出しベエのお釈迦さま!そんな有り難い教えがあるのなら、口の中でモゴモゴ言って、もったいぶらさないでさっさと言ってくださいよ!今まで私たちの為に分かり易く言ってくださったではありませんか。ここにいるみんなは理解できますって!」

「わかった、そしたらみんなに今まで話してきたことをすべて忘れてくれ。これから話すことをよく聞くのだぞ。

まず法華経が分からなくても信じること。今まで教えてもらっていたことに多少の満足度があっても、それをかなぐり捨ててでも、何が何でも法華経が正しいと信じること。

言っておくが、法華経は難解・難入!ちょっとやそっとで理解できないものと言うことを、頭に叩き込むこと!しかし、いろんな例え話(譬喩・ひゆ)を入れて分かり易く説明するから、分かるまで聞き直してくれ。」

お釈迦さまは我々にとって非常にやさしいお方ですから、理解ができるまで一所懸命お教えくださっています。

ただ、我々の方が自分の都合がいいときにはお釈迦さまの教えを聞いても、自分の都合でお釈迦さまのお話を理解しようとしません。

また、以前の教えでは解決しないとわかっていても、聞きなれている以前の教えに固執しがちです。

日本にいろんな仏教の宗派があるのは、各宗派を起こしたお上人さん(宗祖と言われるお上人)が、ご自分では法

涌泉寺だより R・三・⑥ 発行者 涌泉寺 院首 山口法博
華経を理解できていますので、ご自分が亡くなるときには法華経を読みお題目を唱えながら亡くなっておられると聞いております。

 それだけ法華経は重要な教えなのです。

法華経でないと解決しない・救われない・成仏しない・納得出来ない・等と分かっていながら法華経は『難解・難入!』で皆に教える(布教する)となると、並大抵ではないし、命がいくつあっても足りないような教えなので、ご自分が布教するとなると不可能だとして、法華経以外のご自分が教えやすい教えを布教なさっておられます。そして、教えるからには自分の教えがお釈迦さまの本当の教えとして布教なさいました。

なので、日本ではお釈迦さまのお教えになった仏教が広まっていますのに、おかしなことに、宗派がいろいろ存在するという、珍現象があるのです。

また、日本はもともと神さまが統治なさっていた国なのですが、仏教の教えが入ってきました。

世界でいまだに続いている宗教戦争が日本でも起こりました。そして仏教方が勝利したことは日本史で皆さんお勉強をなさってご存じだと思います。

お釈迦さまは先にも申し上げました通り、優しいお方ですから、仏教徒も優しいので、負けた神様を廃絶したりしませんで、神様と二人三脚で日本の国を安心安全で住みやすい国にしようとなさいました。

いわゆる『神仏混合』です。

明治以前は、ほとんどのお寺の横には神社があり住職が神主を兼務していました。涌泉寺もそうだと古老の総代から聞いています。

この度の新しいご信者さまも、神道系や法華経を含む仏教系の新興宗教のご信者さんにもかかわらず、どうも心身・稼業ともにしっくりいかないので、最後の頼みの綱として、法華経で何とかすっきりしたいということでご来山なさいました。

このお方はお仕事上、他人様のお悩み事も解決なさっておられるので、体中のいろんな障り(罪障)のお消滅と心身の清浄のお行をなさってはと言うことで、木剣修法と唱題行、各精霊のご回向をなさるようにご指導させていただいています。

涌泉寺では、お釈迦さま・日蓮聖人さま・お題目・大威徳明王さまを、心から信じて、法華経の読と唱題専念するならば、そのうち必ずお聞き届け下さると励まさせていただいております。

なぜなら、私がお檀家もご信者も無い、朽ち果てかけの涌泉寺に来て、復興していただけた今があるからです。

日蓮大聖人ご降誕八百年慶讃事業として日蓮大聖人のご尊像建立を志させていただいたのは今年に入ってからです。五月二十六日に立ち上がりまして六月十三日の開眼法要を待つばかりです。

開眼法要までにいろんな仕上げは有りますが、不思議です。

大威徳明王さまをはじめお寺の仏様方のお陰はもとより、(株)翔栄と言う欲も得もないお墓屋さんの社長さんに巡り合え、新しく住職になった息子の直向きな仏さまに対するお給仕や檀信徒の皆さんのお陰と感謝しております。

朝のお勤めに仏様方に『もう一息や・もう一息や』と念じております。

出来上がりが左の像です。駐車場の上の段に、台座が高さ一、三メートル横一、四メートル。お像の高さは三、七メートルで重さが約六トンあります

六月十三日には、コロナ禍のこともありますが午前十一時から大威徳明王さまの年大祭があります。終了に引き続いて日蓮大聖人ご尊像の開眼法要をします。又と無い機会です皆さんのお出でをお待ちいたしております。

 

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