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令和3年2月の行事案内

    

       釈尊涅槃会・日蓮聖人ご隆誕会の御案内

  釈尊涅槃会とは、お釈迦さまの年回忌法要のことです。貴方のそばにいつも寄り添って下さり、貴方の事をいつも見守って下さり、危ない時には速やかに各々必要なご守護神さまを遣わしてお助け下さいます、お父さんそのものです。

日蓮聖人さまがいつも説いておられるこの地球上の生けとし生ける者の【親】であり【師】であり【主】であるお方がお釈迦さまなのです。ですから、我々はお釈迦さまのお塔婆を立てて追善供養の法要をさせて頂くのが当たり前なのです。各家でお塔婆を最低一本は立ててお供養をさせて頂き、お礼をいたしましょう。

  お釈迦さまのご命日は諸説有りますが、涌泉寺では北伝説で西暦紀元前三百八十三年二月十五日としていますので、今年で二千四百五遠忌(世寿八十一歳)をお迎えさせて頂くことになります。当日はこのお德にあやかり、各家のご先祖さまなどのお塔婆も受付けさせて頂いておりますので、たくさんのご回向を、お申し込み下さい。

  毎年二月一日より二月中、本堂に掛けてお給仕致しておりましたお釈迦さまの涅槃図の痛みが著しかったのですが、平成十八年にその当時の三人の総代さんのご尽力を頂いて、修復していただきました。涅槃会にお越し願えないお方は二月中に是非とも当山の本堂にお越しいただき一目おまいりしてください。

 さらに、お釈迦さまが亡くなられた翌日の十六日に日蓮聖人はお生まれになっておられます。お釈迦さまと入れ替えにお生まれになられた日蓮聖人は今年で数え八百歳になられました。そこで日蓮聖人様のバースディーパーティも致します、どうぞご参加ください。

日      時  令和三年二月十一日(木曜日・祭)  午前十一時より 本堂にて厳修

お      経   釈尊がご入滅なされる直前のご説法の記されているお経【仏垂般涅

             般略説敎誡經】を皆で唱えます。お経本はお寺でご用意させて頂いて

             います。他のお寺ではこのような有難いお経を読む事はありません。

             皆さんご一緒にお唱えしましょう。奮ってご参加ください。

申し込み料   お釈迦さまのお塔婆は一本三千円・その他のお塔婆はお心持ちです。

       日蓮聖人バースディー・パーティー券(お供えのこと)もお心持ちです。

締め切り     当日も受け付けますが出来るだけ二月十日頃までにお願いします。

塔婆の申し込み・日蓮聖人誕生お祝い別添用紙をお遣い下さい。 

以上

       令和三年一月二十八日

石  用  山   涌   泉   寺

山  口  法  光

涌 泉 寺 檀 信 徒  各 位

 

             

二月一日より一ヶ月間本堂に涅槃図を掲げて毎日お給仕をしています。二月中に一度は寺宝のこの涅槃図にお参り下さい。 仏教徒として当然の行為です。

涅槃図にお参りのときにはこの説明書をお持ち下さい。

釈尊が八十年のご生涯を当に閉じられた時のご様子は、大般涅槃経に詳しく述べられており、今日伝えられている涅槃図は、全てこれを基に描かれています。

当山の涅槃図は、安政五年(一八五八)二月、第十七世一光院日行上人代に描かれたのを大正十三年(一九二四)十一月に修復されたものです。

 さらに、平成二十年の百部経法要厳修記念事業として時の総代三人が修復を発願、平成十八年二月十二日に第二回目の修復完成開眼が涅槃会時に行われました。

日本で描かれた最古の涅槃図は、平安時代応徳三年(一〇八六)作の金剛峰寺の涅槃図であると言われておりますが、当山の涅槃図は現今一番流布しています鎌倉時代以降に成立した図版形式の物です。

扨、涅槃図をご覧ください。釈尊がご入滅なされたのは二月十五日の満月の夜となっていますが、当山の涅槃図では上部中央に満月と真っ赤な太陽が描かれていましたが、平成十八年の修復時に一つに手直ししました。その少し下には十大弟子の阿那律に先導されて、雲に乗って利天(とおりてん)より飛来した釈尊の生母、摩耶夫人の嘆き悲しむお姿がご覧いただけます。これより前に、釈尊が涅槃に入ると聞いて不老薬を投げ落としたのに沙羅双樹の枝に止まって釈尊に届かず、釈尊の命を留めることが出来なかったことも歎きの一つです。

この袋がかかった枝をかじって、薬を落とそうと木を駆け登ったネズミを、よい餌だと猫がそのネズミを食べてしまいました。その為釈尊が亡くなったことから涅槃図に猫の絵が無いのです。猫はその場の皆から「顔を洗って出直して来い!」と叱られ猫はそれ以降絶えず顔を洗っています。更に涅槃が近ずくと猫の声が急に弱弱しくなるのは悲しみのあまり泣き明かしているとか。

更に、スズメは、釈尊の一大事を聞きつけてお化粧もしないで、ほっぺに鍋墨付けたまま、着物も着かえず一番先に駆けつけました。だから家の前でお米の餌にありつけています。ツバメはほっぺに紅をつけて正装をして遅れてきたので虫と泥を食わされています。キツツキもツバメと一緒だったので木をつついて虫を取らなければならなくなりました。

そして、沙羅双樹が八本描かれていますが、これは釈尊の説かれた八正道[煩悩から解脱をして、悪業を転じて善業に取り組む八つの正しい人生態度のことで、妄見・妄想・暴言・悪業・規律無き生活・怠慢・無目的な生き方・迷妄に満ちた不安な心、以上八つの邪悪から離れて正しい人生態度を身につけるべきであることを提示したもの]を象徴しています。又、この沙羅双樹の樹は、釈尊のご入滅が近い事を知って時ならぬ白い花を咲かせて供養しますが(これを鶴林=かくりん、と言います)、釈尊の入滅後、悲しみのあまりに枯れたと言われています。その為に生き生きしたもの四本と枯れたもの四本と半々に描かれているのです。仏式の葬儀の祭壇に、紙で作った死花花(しかばな)=紙で作った花、を備える風習は、この沙羅双樹を表しています。

又、左から二番目の樹の枝には、釈尊が使用した鉢や水を入れる皮袋がぶら下がっています。これは、仏道修行者の持ち物(財産)は、一鉢三衣(いっぱつさんね)以外はないと言うことを表しているのです。即ち、一つの鉢で朝の托鉢時の供養を入れる入れ物(鉢が供養の品で一杯になると帰らねばならず、袖や懐に入れるなどそれ以上に多く頂く事は禁じられています。そしてその鉢はなべになったりどんぶりになったり洗面器にもなります)、三衣とは肌着と衣と袈裟のことです。それ以外の持ち物はお坊さんと言うのは出家していますので、必要としないから持っておりません。

沙羅双樹の後方には、クシナガラの煕連河(にれんが)が描かれています。釈尊は煕連河のほとり、沙羅双樹の林の中にご入滅の場所を定め、お休みになられました。そして弟子の阿難尊者に、喉の渇きを訴えられて、煕連河から水を汲んでくるように言われました。「いま少し前に、商人が五百台の荷車を連ねて河の上流を通ったので水が濁って飲めないと思います。ここからあまり遠くない迦屈蹉河(かくったがわ)にお行きになれば、清い水がありましょう。そこで喉の渇きを癒し、足をお冷やしに成られては如何でしょうか。」と申し上げました。ところが釈尊は、水を汲んでくるように三度仰せられたので、止む無く水を汲みに行くと、何と水は清らかに澄んでいたので阿難尊者は驚き、釈尊の神通之力に感嘆したと言います。釈尊は阿難尊者の汲んだ水をお飲みになり喉の渇きを癒されました。これが【末期の水】の起源です。

更には、この沙羅双樹が【生と死】を、煕連河が連綿と続く【生死の流れ】を象徴的に表しています。そして、沙羅双樹の木々の中央にはご入滅された釈尊と、そして釈尊を取り巻く多くの菩薩・仏弟子・天王・天女・俗弟子、加えて多くの動物や鳥・昆虫迄の生きとし生ける、命を有する者すべての嘆き悲しむ様子が書かれ、まさに涅槃の劇的な場面そのものが描かれています。

釈尊は頭北面西右脇臥のお姿で臥されたのが北枕です。これは、釈尊滅後仏法が北方の地に広まることを示されています。

この図の中で、釈尊のお顔の真下あたりに、横になって寝ているように見える僧が描かれていますが、これは須跋陀『須跋陀羅』(すばった・すばったら)と言う名前の、釈尊のご入滅直前に仏弟子になられた釈尊最後のお弟子です。釈尊の入滅を見るに忍びないと言って、先に逝った姿が描かれているのです。

象やラクダなど、多分本物を見たことがないであろう絵師が描いた姿はなかなか興味深いものでしょうし、登場する動物を始め、全てのものが泣いている様子を描くのも大変だったろうと思います。

このように多くのものに囲まれて釈尊の涅槃の様子が描かれているのも生きとし生けるもの、全ての、ものの命を大切になされた釈尊の大いなる慈悲のお力を具現したものですし、更には仏教の本質、即ち【慈悲】そのものを表現したものと言えましょう。

釈尊最後の教えは、「私が入滅した時あなた方は《偉大な師》を失ったと嘆き悲しむが、私の説いた教えと戒がお前たちにとって掛け替えの無い《師》となる。すべてこの世の物は生じたものは滅んで無くなる!怠けることなく日々刻々と修行を続けなさい!」でした。  

日々のお題目修行をご精進ください。

人の一生は死(ローソクが吹き消される情景=「貪欲・欲深さ」「瞋恚・怒り」「愚痴・迷い」三つの煩悩の炎を吹き消す)によって完成されます。=涅槃

安心された釈尊は、全てが嘆き悲しんでいるのにもかかわらず少し微笑んでおられます。

尚、涌泉寺におきましては二月一日より一ヶ月間、毎朝勤時と涅槃会当日には、釈尊のご入滅される直前のお説法が記されているお経【佛垂般涅槃略説教誡經=遺經】

(ぶっしはつねはんりゃくせつきょうかいきょう=ゆいきょう)の一部ですがお唱え致しております。

  

令和三年一月二十八日

 

                                                 山   涌  泉 

     

 

 

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