住職だより R7.6 「モノより思い出」

住職たより 令和7年6月号 「ものより思い出」
先日、日経新聞で興味深い記事を読みました。
「ブラックサンダー」というチョコレート菓子をご存知でしょうか。
そのお菓子を作っている会社が、愛知県に新工場を建てました。
ですが、ただお菓子を製造する場所ではありません。
実はその工場は見学ができ、実際にお菓子が作られていく様子を
ガラス越しに見ることができるそうです。
さらには子ども向けのスタンプラリーや、
ここだけの限定商品まで用意されており、
まるで「テーマパーク」のような工夫が凝らされています。
この取り組みの背景には、
「モノを売る時代から、プロセスを売る時代へ」
という考えがあるのだそうです。
つまり、完成した品物だけでなく、
それが作られていく過程――つまり「どのように」「どんな想いで」作られているかに、
より大きな価値が生まれているようです。
ふと私は思いました。「これはお寺にも通じることではないか」と。
たとえば、法要。ご先祖さまのために仏さまの前で行うご供養は、
単に儀式を受けるというものではありません。
ご家族がご先祖を思い、命のつながりに手を合わせる。
そこには、準備から参列、そして帰宅後の語らいまで、一連の流れがあります。
そのすべての時間に、心が込められてこそ法要なのだと思うのです。
ご祈祷も同様です。願い事を唱え、御札をお授けするだけでなく、
「どうしてその願いを持ったのか」「どんな願いを仏さまに託したいのか」と、
心を整えることが大切です。
祈りとは「すでに起きている自分の行動」のプロセスに、
仏さまのお力をお借りすることでもあります。
ですから、結果だけを求めるのではなく、
その過程にこそ「祈りの本質」が宿るのではないでしょうか。
そして写経。これは最も分かりやすい
「プロセスそのものに意味がある」修行の一つです。
一文字一文字に心を込め、筆を進める間、
自分の内面と静かに向き合う時間になります。
写し終えた経文もありがたいものですが、
その時間の中で得た気づきや静けさこそが、
仏道修行の一環であると、私は感じています。
この記事を読んで、あらためて
「ものには想いや背景が伴ってこそ真の価値があるのだ」と実感しました。
たとえば最近では、シャカシャカポテトやサラダうどんのように、
最後の仕上げを「自分で行う」商品が人気です。
それは、「自分で仕上げた」というプロセスが、
買った人にとっての喜びや満足感を高めてくれるからです。
涌泉寺もそうした「関わる場」でありたいと思います。
法要に参列する、ご祈祷を受ける、写経を行う。
どれも仏教の教えにふれる大切な機会です。
そしてそれは、ただ「受ける」「見る」だけではなく、
心を込めて一緒に参加することで、
より深い意味が生まれるのだと、私は信じています。
現代は情報も物もあふれている時代です。
そんな時代だからこそ、「プロセスに心を寄せる」
という生き方が、人の心を整えてくれるのかもしれません。
さて6月8日は大威徳明王の年大祭です。
この機会に是非ともご参拝くださいませ。
これからもよろしくお願いいたします。
令和7年5月31日 涌泉寺 住職 山口 法光
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