1. HOME
  2. 涌泉寺だより・月案内
  3. 涌泉寺だより
  4. 令和4年8月の涌泉寺だより

令和4年8月の涌泉寺だより

本当の法華経の教え

 七月早々に亡くなられた安倍元首相のことは皆さんご存じだと思います。

 犯人は、母が新興宗教の統一教会信者で、そのために家庭崩壊をきたし、元首相がその会と親しい関係にあるとして殺害したようです。

 この地球上に、宗教と言われるものの種類は、数えきれないと思います。初期のお釈迦さまの教えからすると、人の数だけ宗教の種類はあると思います。

 住職と言う立場を息子に移譲してより、隠居さんになってから、難解とされる法華経を毎日、熟読させて頂いております。

 私の頭が悪いのか、お師匠様が言われるように、まだまだ読む回数が足りないのか、頭で考えるばかりで身(からだ)で読んでいないのか、やはり法華経は難解です。

 しかし、法華経が解りたい一心で、宗教評論家と言われる方々の解説書・本宗のいろんな書物やコラムなどを担当なさっているお上人方の書き物を読ませて頂き、毎日、難行苦行をさせて頂いております。

 ここでもう一つ難問が、数え年、八十歳とも成ますと、今、解らせて頂いた事がすぐに忘却してしまうという強敵が現れました。元々が元々だけに、いかんともし難い物で、その物との戦いも大きな負担となってきました。

 私の偏った理解かもしれませんが、世に言う全宗教の根本はと言うと、お釈迦さまが心から・本心で未来の人間全てを、幸福にしてやろうと説かれている、【法華経】の教えしかないと、思い至ったところです。

 法華経以外の全宗教は、本当の教えの法華経に気付かせるための、前段階の教えだと言うことです。

 法華経以外の全宗教には、全て解決するということはなく必ず、疑問符が生じるようになっていて、その疑問符は法華経によってのみ解決される物なのです。

 聖者と言われる人がこの世に姿を現したのは、今から約二千五百年前のインドにお生まれになった、お釈迦さまです。

 お釈迦さまは、自分が仏であると自覚為されてから、亡くなるまでの毎日を、一人々々に『お前は動物ではなく人間なのだから私が言うようにして、これからを生きていくと幸福な一生が送れるからね』と、インド中の一人々々に説いて廻られました。

 そこでハッと気付かれたのは、七十歳になられた時、さすが仏さまです、自分の寿命が八十歳と分られ、このまま通りの教えを続けても、二千五百年前のままの教え

 

涌泉寺だより R・四・⑧ 発行者 涌泉寺 院首 山口法博
であり、未来の人を教化する教えが無ければならないと判断されました。

 そこで、難解ではあるが、人間が菩薩になれ、菩薩が如来になれると言う、崇高な教え【法華経】を、七十歳となった今から、最期の教えとして、これから先、教え説いて行こうと決心されました。

 しかし、これからが難問山積です。

その場にいたたくさんご信者さま方に『これから先の未来の人を救うため絶対必要な教えを解こうと思うが・・・。

【法華経】と言う教えなのですが、どれだけ難しいか。如来と言われる仏さまと仏さま同士の、会話だとおっしゃいます。今でいう外国人同士が喋っていることを、いくら聞いてもわからないのと同じだとも言われます。

 でもその場に居合わせた聴衆は「お釈迦さまが、未来の人々を救う唯一の教えを、我々に説こうと為されている以上、我々もどのようにしてもわかろうとしますから、【法華経】なる教えを説いて下さい」と懇願するので順次説いていかれます。

 我々が今読ませて頂いている【法華経】は、お釈迦さまが我々のために【法華経】と言われる崇高な教えを、解説していただいている解説文を、読ませて頂いているだけで、【真の法華経】ではありません。

 我々が死んで、お釈迦さまの身元に行かせて頂いた時、始めて【法華経の原文】に会えて、読ませていただくのですが、恐らくチンプンカンプンだと思います。

 しかし、法華経の原文を目の当たりにさせてもらえるのですから、大変な楽しみです。心してお釈迦さまの処に行かせてもらいましょう。なので、皆さん今の法華経を少しでも読めて、お題目を唱えるようにしましょう。

 そこで総括です。

 すべての人間が法華経に会えるために、お釈迦さまは如来ですからこの世に戻ってくることは有りませんが、あえて我々全人類の為に、キリストさまやマホメットさま、を始め、この現実の世の中のあらゆる宗教と言われる教祖様、導き者様、神の代理者様、等々の指導者に、お釈迦さまは千遍万化して、全て法華経の教えに導くための前段階をご指導なされています。

 先に申し上げました統一教会も教祖様はお釈迦さまの化身であられるだろうし、真の目的は、法華経中にある『我を捨てる』いわゆる、この世に自分の物と言うのがあるからそれに執着するがために、他人の痛みが分からない。なので、自分の物を神にささげ、お金の執着から逃れ、我執を捨てることになるのですが、個人の指導者の誤った指導の結果、自己破産となっての事件です。

本当の

法華経の

教えに

巡り

合えるのは

至難の

業です。

涌 泉 寺

関連記事

  • コメント ( 0 )

  • トラックバックは利用できません。

  1. この記事へのコメントはありません。