令和4年4月の涌泉寺だより
人は皆菩薩だよ
私は、何か事ある毎に『どのような人でも菩薩としてこの世に生まれているから・・・』と言っています。 そうです、我々人と言われる動物は、単なる動物ではなく、人間と言われるお釈迦様公認の菩薩様なのです。 我々がこの世に生まれる以前は、お釈迦さまが絶えず法華経をご説法なさっておられるところ=あの世、に居ていました。 そこは、お仏壇の真ん中に掲げられているお曼荼羅の世界で、私どもは、お釈迦さまから法華経の講義を受け、法華経修行の結果、やっと菩薩になれた、ホッカホカの菩薩一年生なのです。菩薩の仮免許を頂けたのです。 本当の菩薩になるには、人間界に人として生まれて、菩薩としての人間修行をしなければなりません。 先ず和合している男女を見つけ、その男女の子供として生まれたいとお釈迦さまに言います。お釈迦さまは、『この男女の間に生まれたらお前はいろんなひどい目に遭うが良いか』と念を押されます。しかしそこは修行です。自分が親と決めた以上はどのような親であっても、親孝行をしながら、菩薩の修行をします!と言います。だから、子供は親を選びますが、親は子供を選べません。 そこで、無事に生まれることなく水子として生まれたとしても、水子は親を怨むことは有りません。しかし水子として生んだとして親はお釈迦さまから叱られます。 だから親は、水子を造った責任として水子の供養を特別にさせて頂くのです。 世間でよく言われる『水子の祟り』なる言葉は存在しないと言えます。 無事に人間界に生まれさせていただいた我々は、菩薩としての修行の期間が寿命(菩薩と言う佛の命だから)と言われるもので、人それぞれによって違いますし、人それぞれによって内容も千差万別です。その修行の最中にいろんなテストを受けねばなりません。その結果は、死んであと、お釈迦さまの処に還ってから、お釈迦さまの面接時に、お釈迦さまから直に教えられ、いろんな注意やお叱りや励ましのお言葉を頂きます。 人がこの世で生きていくのに楽しいこと嬉しいことなど良い事と言うのはほんの一握りで、ほとんどは、怖いこと、悲しいことなど嫌な事ばかりです。 今、正に、嫌な事に遭遇している方々、これがお受験の真っ最中なのです。逃げないで果敢に挑戦してください。 難解な問題で、訳が分からない人には法華経と言う参
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涌泉寺だより R・四・④ 発行者 涌泉寺 院首 山口法博 |
考書があります。よく読んで諸難を解決してください。
お受験にお疲れの方々にはお題目を唱える(南無妙法蓮華経と何回も・何回も唱える)、と言うカンフル栄養剤があります。何回も唱えることによって、嫌なお受験を突破できる活力がいただけます。 本当の菩薩になるには人間修行を何回もしなければなりません。だから、人は何回も生まれ変わり死に変わるのです。本当の菩薩になれたら、もう人間修行をしなくていいので、人間界には生まれません。 しかし、菩薩に成ればそれで終わりではなく、次はお釈迦さまのような如来になる修行が待っています。 菩薩さまが如来さまになれたら修行は終わりかと言えばそうは行きませんで、修行と言うのは永遠・未来永劫に続くようです。 今のところお釈迦さまからは、如来の次のことは仰って頂けてはおりませんが、あの世に還ったら分からせて いただけるようです。 この世で法華経と言うお経を読ませて頂いていますが、お釈迦さまが仰るには、我々人間は本当の法華経を読もうとしても読めないし内容も全く理解できないので、お釈迦さまが法華経と言われる経えを要約して我々にかみ砕いて訳して語っていただいているお言葉集が、今、我々が読ませて頂いている法華経と言うお経です。 このことは法華経の二番目、方便品に書かれています。 私たちは、お釈迦さまの身元に還らせて頂いたら、本当の法華経(法華経の原文)がお釈迦さまのご指導を仰ぎながら、読めるのです。 このようなことが理解出来たら、我々は、来世と言うあの世に還らせて頂く(死)のが楽しみではないですか。 私はこのことを分からせて頂いてからは、毎日、ワクワクしています。 しかし、この世がどんなに苦しくても、嫌なところでも、気分が悪くても、急いでお釈迦さまのところに還る必要はさらさらありません。ましてや自分の手で、お釈迦さまの処に、自殺や自分の不注意などで還る必要は全くありませんし、お釈迦さまから用意されたお受験を放棄して帰るなど言語道断です。 私はみんなにいつも言います。『あの世ほどつまらない処はないよ!この世で散々嫌な思いをしたお勉強を、あちらでは法華経のお勉強が明けても暮れてもだし、他人にさんざん頭を下げてきたのに、あの世では仏道修行と称していろんな仏さま方に就いて、仏道修行を四六時中少しの休憩も無くしなければなりません。』このことを考えると、いやだいやだ! あの世に逝きたくない! |
寝る前に
楽しい事や
悲しいことが
いくらあっても、
明日の朝必ず
仏さまは目を
開けて下さる。
明日こそ今日よりも
良い日なのだから。
涌 泉 寺
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