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令和3年5月の涌泉寺だより

ある新聞から

 涌泉寺が定期購読の新聞は「産経新聞」です。亡き家内の愛読紙だったのでそのまま引き続いています。

 私は中身のニュースなどはたまにしか読みませんが、一面の「朝晴れエッセー」と「産経抄」そして今月に入って久しぶりに掲載されるようになった新聞小説、高殿 円作「コスメの王様」は欠かさずに読んでいます。

 皆さんに、話のネタ切れ時に、お話したいと思って切り抜いておいたのが出てきましたのでご紹介します。

二月十七日付の「産経抄」と「朝晴れエッセー」です。

その前に言いたいこと。

最近考えさせられる大きな一つは『最近の日本人って、頭がアホになったんと違うやろか、頭や心も未開途上国の人々よりも劣っている状態になっている』としか思われません。

去年から日本中がマスコミによって踊らされているとしか思えない『コロナ』が良い例です。

何回か終息を迎えているのに再発を繰り返しています。ただ、「マスク」して「手洗い」して「夫婦・子供以外とは濃厚接触はしない」そした「大した用事もないのに町をウロウロせんと家に早く帰って、何チャンネルもあって二十四時間しているテレビでも見い、晩位家にジッと居て、用事が済んだら早く寝る」だけでいいのに。

こんなの「インフルエンザや花粉症」対策と一緒で改めて一生懸命するものでも、他人や政府(おかみ)から改めて言ってもらう代物でもないやろ。

外食産業が何でこんなには流行らなアカン?

奥さんの手料理ってそんなに食べられない位にマズイか?素人が作っているのだから玄人が作っているよりマズイのは当然やろ。素人には銭払わないで、玄人に銭払っているんやから。当たり前やで。

奥さんの手料理が死ぬまで食べられるのは、日々によって美味しかったり不味かったりと、変化があるから食べられる。とは、ある、料理研究家の大先生の言です。

プロは味付けが一定でないとだめなので,いつ行っても同じ味だから空きますが、奥さんの手料理は味に変化があるから死ぬまで食べ続けられるのです。

お釈迦さまは法華経の中で仰っておられます。我々人間は、菩薩としてこの世に生まれ、菩薩の修行をしています。

だから、我々人間は、生まれてこの方、不満な事・不愉快な事・腹の立つこと等々いろんな嫌なことに遭遇しますが、これは菩薩としての修業(お受験)の一つなのです。

涌泉寺だより R・三・⑤ 発行者 涌泉寺 院首 山口法博
この世は不変ですから、同じことが続きませんし、同じものと言う物も事柄もありません。有難いことに、この世には変化があるということです。あの世(仏の・お釈迦さまの世界)は何人もの仏さまにお仕えする永遠同じことの繰り返しで何の変化もない、寂静とは名ばかりで地獄そのものです。早く逝くものではありません。

話はとんでもない方向に行ってしまいましたが『産経抄』には幕末から明治にかけて外国人が初めて日本を見た時、当時の日本人が、子供たちを慈しむ気風に感嘆の声を上げたようです。

米国の動物学者のエドワード・モースは滞在記に「世界中で日本ほど、子供が親切に取り扱われ、そして子供のために深い注意が払われる国はない。子供がいつもニコニコしているところから判断すると、子供たちは朝から晩まで幸福であるらしい。」と書いておられます。

今モースが生きていたとすると、どんなに落胆するでしょうか。昔のように厳しく愛情を以って育てないと!

次に『朝晴れエッセー・ジジの休息日』です。

ジジは九十歳、ババは九十五歳。超老々介護です。

話はババの事。入院中に余命の宣告を受けたので、在宅医療に切り替え。その間、年寄り医療制度の利用・各専門者の指導・種々の努力と親切でババは元気を取り戻して感謝。

しかしジジはババの寝たきりの気遣い・食事から下の世話と休む間もない。ジジは心身とも疲労困憊(こんぱい)。ジジに休息が必要とババの関わっている方々の配慮で十日間のショートステーが決まった。

認知症のババにその説明をしたらニッコリ微笑んでくれた。童女のようなババの笑顔が見られないのは寂しいが、ジジの心身の回復が一番と入所先に送った。

翌朝は晴れ。気分爽快。こんなにゆったりのんびりの時間を過ごすのは何日ぶりだろう。

最後に、ババよ、帰ってきたらまた面倒を見るからな。で終わっていたので、自分の事のように嬉しかった。

私の家内の場合は一月から入退院があったが、退院してお寺にいても普通の生活でした。八月からは終末医療で入院。九月十二日に亡くなるまで、家内はお寺に帰ることはなく、そのときの疲労は無かった。しかし、その後、お寺に住んでいたのを息子夫婦に明け渡し、近所に一軒家を借りて一人悠々自適の暮らしと思っていましたが一人住まいのわびしさ、夜が無性に寂しい。さらに、掃除・炊事・洗濯のために朝四時半に起き、自宅で朝の勤読をして七時前にお寺で朝勤。その後四時まで今まで通りの山務。八年間の疲労が今頃になって困憊(こんぱい)中。

自殺を希望している人。自殺なんかせんでもエエ。

ナンボ自殺するほど嫌な事があっても、極楽と言う地獄・仏道修行しかする事が無い、ツマランあの世に何で急いで逝かなアカン?

ワシはいくら誘いがあっても全て断って、この世に、何があってもしがみ憑く!

この世って、オモロイもの!    涌 泉 寺

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