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令和3年1月の涌泉寺だより

お正月からいろいろ               

日本の高度経済成長は『年功序列の社会制度』と『勤勉さ』が最大の要因だと分析した本が1979年にベストセラーになったのをご存じでしょうか。本の題名は『ジャパン・アズ・ナンバーワン』で作家は、米社会学者で、ハーバード大学名誉教授のエズラ・ボーゲルさんと言われる先生です。

皆さんご存知でしょうかと言ってもほとんどのお方はご存じないと思います。

このボーゲルさんは、頻繁に訪日し、米国でも有数の日本通として知られ、皇后さまが高校、大学時代に米国で過ごされた際にも親交があったと十二月二十二日付けの産経新聞で読みました。

今から何十年か前の社会現象が『日本では終身雇用・年功序列で一旦採用されたらその人に実力が無くても企業から解雇されることは有りませんでした。アメリカなど先進国が行っている労働者制度、いわゆる同一労働・同一賃金の制度を日本でも取り入れないと若者の労働意欲・労働者そのものの労働意欲が損なわれる』という考えの下に、日本でも先進国の労働者制度を取り入れたことの弊害が、今現在の産業界を委縮させていると思っています。

この制度を取り入れて得をするのは企業だと思っていました。職種ごとに賃金を決めて、それに適した人を労働者派遣企業から一定期間人員を派遣してもらい、気に入らない人(不適正な人)は派遣会社に返却して代わりの人を派遣してもらえば、各企業で人員育成をする必要が無くなったと言うことです。

そして実力のある人材と言うのは、企業間で引き抜き合戦が繰り広げられるので、企業間の特性が無くなると言うよりも、各企業間での秘密事項が暴露されると言う危険が生じています。

よく言えば、今まで日本の企業では、雇われている会社に対して忠誠心と言う考えを持っていましたが、その考えが崩れ、日本の企業が持っている高度な技術が外国企業に流れると言う危険が現実になりつつあります。

日本の企業は各企業とも一致団結して外国企業と勝負をして勝ってきた結果、経済大国と成れたのですが、高度な技術を習得した者はお金で外国企業に引き抜かれると言うのが現状です。

例えば、商社と言われる企業も、今迄であれば、世界の未開発の国々には必ず日本の商社マンが居て其の国に新企業を造り日本と貿易する事でその国の経済に寄与し

涌泉寺だより R・・① 発行者 涌泉寺 院首 山口法博
てきました。しかし今ではそういう傾向はみることが出来ません。

 私も家が貧乏であったがために、中学校を卒業と同時に零細企業に丁稚として働きに出ました。丁稚が嫌で直ぐに辞めて、きれいな仕事の事務員になりたいと駄々をこね、母親の知り合いの紹介で小さな運送会社の事務員に雇ってもらえました。

 しかし、中学校出立ての小僧っ子が事務員と言っても電話の受け答えが出来ず、字を書かせばミミズの這ったような読めない字を書き、大人の会話が理解できず、何の役にも立ちません。今であれば即解雇ですが、事務所の責任者は「何の役にも立たんお前は便所掃除と掃き掃除でもしとけ!便器もお前がなめられるくらい綺麗にセーヨ!学校に行きたければ一時間時間をやるから(早仕舞い)夜間学校に行け!」でした。

 次の日から事務員としてのノウハウはもちろん、社内の仕事と言う仕事を、腰を振らつかせながらの土方のような荷物担ぎから、全てさせて頂き、果ては経営哲学まで伝授して下さり、学校も大学まで出していただき、わがままに二十七歳で会社を辞める時には、総務部副部長までならせて頂き、来年は愈々部長として会社の取締役の一員にして、家も一軒建ててやる、とまで言われるまでにならせて頂きました。会社も私も大出世!

 今の企業も一頃前までは、このようにして、従業員を社員一同が社内教育をしたものです。転勤もその一環と思われます。

そして、入社早々桜の花見会の会場の関取合戦に始まり、屋上ビールの飲み会、お中元・歳暮のやりとり、忘年会に新年会、役職昇進祝い会、転勤族の歓送会、定年退職者の送別会等々、何かあれば集まって懇親を深め、会社で事あれば社員一同が一丸となって事に当たるなど、取引先とのお付き合いも有ってサラリーマンって結構大変でした。

企業によって多少の違いはあったとしても今風では、昨年は特にコロナ禍によってですが、与えられた仕事だけをしておればよくて、一堂に集まって賑やかな中でいろんなアイデアが出されて、仕事が進んでいくと言うことではなく、人間関係も希薄となり、仕事上のミスがあっても責任のなすり合いをして責任を取ろうとする者がおらず、少し仕事が出来ずみんなと歩調が合わない者に、集団いじめをする。お前ら子供か!と言いたい。

でも、日本人は優秀です、『一陽来復』と言う言葉があります。冬の冷たい暗い夜ばかりではありません、必ず桜の咲く春が来ます。皆で努力して迎えましょう。

『九九消寒図』を書いて

春を待とう。

 

明の時代の北京での風習。

冬至に八十一個の梅の花ビラを描いて、毎日一枚ずつ色を塗り、花弁全てが塗終わってきれいな梅の花が完成した時分が、梅の花が咲きほころぶ暖かな春なのですよ。

 

皆さんも明日こそ好い日に成りますようにと、毎日お題目を唱えながら、信じて待とうではありませんか。

 

きっと良い日が来ますから。

           涌泉寺

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